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2024年のドラフトで高校生ながら注目され、巨人から1位指名を受け巨人入りした石塚裕惺さん。
2024年夏の甲子園では埼玉代表として出場しました。(花咲徳栄高校)
中学生の頃から、高校卒業したらプロ入りするという目標が実現しました。
そんな石塚裕惺さんの父親はどんな人なのか、弟など家族構成や球歴についてご紹介していきます。
もくじ
石塚裕惺さんのプロフィール

名前:石塚裕惺(いしづか ゆうせい)
生年月日:2006年4月6日
出身地:千葉県八千代市
身長:181cm
体重:82kg
投打:右投げ右打ち
足のサイズ:28.5cm
好きな食べ物:鶏肉
趣味:読書(最近は大谷翔平に関する本を読んだそうです)
好きなプロ野球選手:坂本勇人(巨人)鈴木誠也(カブス)
好きな球団:千葉ロッテマリーンズ
石塚さんもショートを守っているというところからも、好きな選手が巨人の坂本勇人選手というのはわかる気がしますよね。
球歴

小学生時代
石塚さんが野球を始めたのは小学生になってからではなく、幼稚園の年長の時。
地元の野球チーム”勝田ハニーズ”に年長で入りました。
小学校3年生で、二部(4年生以下のチーム)の主力となり、5年生で県大会に出場し6年生では主将をまかされました。
小学生の時は野球だけではなく、水泳も習っていたそうです。
水泳は肺活量が増えるという理由で母親に薦められてやっています。
また学校ではブラスバンド部に所属しており、そこではトロンボーンを担当していました。
打楽器ではなくトロンボーンだったのも肺活量を鍛えるためで、こちらも親の薦めだったそうです。
4年生の時同じ地域で千葉ロッテジュニアに選出された人がいると聞き、それが刺激となり6年生で選考会に挑戦。
選考会では本塁打を連発し、千葉ロッテジュニアに選出され目標を達成しました。
その年の会場が札幌だったため、ロッテジュニアになれば両親を北海道に連れて行けるという思いもあったそうです。
なんて親孝行な子供なんでしょう。
しかし決勝トーナメント進出をかけた試合で結果が出せず、初めて挫折感を味わったと話しています。
中学生時代
中学に入り更に高いレベルのところで野球がしたい思いで、自宅から車で30分かかる
中学硬式の強豪”佐倉シニア”に入ります。
練習には、母親が毎回送り迎えをしてくれていたそうです。
佐倉シニアの同期には、帝京高校の西崎桔平、八戸学院光星高校の洗平比呂、千葉学芸高校の菊池ハルンがいます。
1年秋にはレギュラーをつかみ、2年、3年と春、夏とも合計4回全国に行っています。
石塚さんは、中学通算10本以上の本塁打を打っています。
高校生時代
中学卒業後、埼玉県の”花咲徳栄高校”に進学しました。
花咲徳栄高校を選んだ理由を、石塚さんはこう話しています。
「甲子園に行ける可能性が高く、希望していた寮生活ができるのと、父の出身地である埼玉の学校であること。それと(進路選びをしていた時点で)6年連続ドラフト指名選手を出していて、そのなかに野村佑希さん(日本ハム)と井上朋也さん(ソフトバンク)という右の強打者が2人いた。僕も右打ちなのでこれも大きかったです。
引用元 週刊ベースボール
1年生の秋にサードとしてレギュラーを獲得しました。しかし冬からはショートの練習を始め、2年生の春には4番ショートでレギュラーを獲得します。
2年生夏の埼玉県大会では、4番ショートで出場するも決勝で浦和学院に2対7で敗れ、
甲子園には行けませんでした。
3年生夏の埼玉県大会では、打率426、ホームラン1本の好成績で優勝し、甲子園出場を果たしました。
2024年夏の全国高校野球大会で花咲徳栄高校は、1回戦で敗退してしまいました。
高校通算本塁打26本。
高卒でプロへの夢が現実となり、2024年度のドラフト会議で読売巨人軍から1位指名を受け、巨人への入団が決まりました。
石塚裕惺の家族構成
石塚裕惺は、両親、弟の4人家族です。
父も高校球児、弟も佐倉シニアで主将をする球児。
そんな野球一家である石塚裕惺さんの家族をご紹介します。
父親
石塚裕惺さんの父親、石塚康直さんは2024年時点で49歳です。
父の康直さんも高校時代野球をやっており、埼玉県立大宮南高等学校出身です。
石塚裕惺さんが小学生の時所属していた”勝田ハニーズ”の監督をしている父康直さん。
もちろん石塚裕惺さんが所属していた頃から監督を務めていました。
息子を教えることについてこう話しています。
「息子だから、というのもあって特にあいさつとか礼儀とか、そういうのはしっかり指導しました。技術うんぬんよりも」
引用元 日刊スポーツ
石塚裕惺さんが野球を始めたのは、父康直さんの影響が大きいですよね。
母親
石塚裕惺さんの母親は、石塚明世さんです。
母明世さんも高校時代はソフトテニスに打ち込んでいたそうです。
小学生の時裕惺さんが水泳を習っていたのも、母親の薦めだったようです。
中学生の頃所属していた”佐倉シニア”には、毎回母明世さんが送迎していました。
車で30分は結構距離がありますよね。
お母さんの助けもあって、今の石塚裕惺さんがありますね。
親は、子供のためなら苦だと思わず何でも出来てしまうものなんですよね。
弟
石塚裕惺には、3才年下の弟太惺(たいせい)さんがいます。
太惺さんは中学の部活には入らず、”佐倉リトルシニア”でプレーしています。
弟太惺さんのポジションは、内野手で右投げ右打ちで兄裕惺さんと同じです。
太惺さんも小学校6年生の時に千葉ロッテジュニアに選出されています。
お兄さんと同じ道を進んでいますね。
2024年8月に開催されたロッテ、マリーンズカップで佐倉リトルシニアが優勝しました。この大会2連覇しています。
キャプテンの石塚太惺さんはインタビューでこのように話しています。
「中学校3年生最後の大会だったので優勝できてとても嬉しいです。今日は楽しくプレーしようと目標を立てて臨みました。その結果が優勝につながり本当に良かったです。ZOZOマリンスタジアムという憧れの地で、決勝戦を戦うことができて良い経験になりました。これまで様々なサポートをしてくれた監督、コーチ、スタッフ、保護者の方々に感謝を伝えたいです」
引用元 BASEBALL KING
中学校を卒業後、八千代松陰高校へ進学し野球部に所属し頑張っています。
まとめ
石塚裕惺さんの父親、弟など家族構成や球歴を紹介してきました。
幼稚園の頃から野球を始め、高卒でプロの目標がもう目の前まできています。
これからの石塚裕惺さんの活躍に期待しています!
最後まで見て頂きありがとうございました。

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